So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
前の10件 | -

ヒザついて慰問のフリ!

 オウム真理教教祖ら7人の死刑執行の前日75日夜、アベを囲んで自民党へつらい議員たちの大宴会は、その後非難轟々。その非難の真っ先に挙げられているのが甚大な水害被害予測情報がこの日には発せられているのに、アベ以下バカどもが酒盛りをしていたことだ。それはそうだろう、新聞TVよりもはるかに健全な判断をする市民がとても多くいて、アベたちの破廉恥に怒りをぶつけたのだ。この限りにおいては、新聞TVは非力である。無能である。

 

アベは、6日はこの宴会のせいで二日酔いだったとの記事。真っ赤な顔してぶら下がり取材を受けたらしいが、その日は何もしないで私邸だったらしい。7日午前には豪雨に関する関係閣僚会議を15分間開いただけで、その後も私邸に帰宅。非常災害対策本部を立ち上げたのは翌日8日の午前8時のことで、そんな時期になって「救命救助、避難は時間との戦い」などと「心のない決まり文句」を口にしたが、その日も午後には私邸に帰ったと言う。やんぬるかな、である。

 

 やはり悪魔である。悪魔の行動である。そして悪魔は、きっとお決まりのパフォーマンスをやるだろうと思っていたら、アベは案の定11日に被災地に入った。膝ついて被災者に声をかけて、心配している風な神妙な面をしているような写真を見た。新聞TVも首相の動静を記事にするのはいいが、写真や映像は余計だ。どうせアベの腹はこんなしょうもないところに俺様が来たところでどうなるってぇ問題じゃないよ、トホホ…早くオウチに帰りたいよ

一国の首相が被災地に入るということは、これに係わる費用を国が全面的に負担することを意味している。予算はどうひねりだすのかは知らないが、今回の水害は広域なので支援は長期間にわたるだろう、費用も甚大だ。

 

費用の件で思い出したが、2基で最低2000億円かかるイージスアショアシステムの配備は準備が進んでいるのだろうか。このシステムの防衛上に及ぼす効果は、あまりに限定的な故に今でも大いに疑問視されている。アベ首相は北朝鮮の核開発を国難として、それを理由に緊急事態だとこじつけて購入するに至ったのだが、そのプロセスや理由は幼稚園児でもわかるウソだった。その実軍産国家アメリカの大統領トランプに恫喝されて、アベが諂ってハイハイとポケットマネーでも出すかのように購入してしまったこの代価2000億円(実は3000億円以上との説もある)は、このような甚大な災害時にこそ価値のある金だ。

 

アベ首相が何をしにヨーロッパに行く予定だったのか知らないが、それを取りやめたのはさぞ残念だったろうよ、何しろ外交の安倍として知られるようになってきたと周囲に吹いているらしいからな、よくもまぁ…勘違い・妄想も甚だしい。でも残念だったろう、アベのヨメさんも金魚のフンのように連れて行くことになっていたらしいが、オベベも無駄になってしまって悔しくて夜も寝られないのではないか。

悪魔の翼がもげそうになっている。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

死刑に乾杯する悪魔たち

 オウム真理教教祖ら7人の死刑執行の前日75日夜、アベを囲んで自民党諸氏、と言ってもへつらい議員たちが大宴会。死刑執行を翌日にひかえて女性の法務大臣もアベの隣に坐して親指を立てていたから、死刑命令書発出の直後の映像に違いない。死刑執行の直前に親指立てて…もうこの連中に対する言葉もない。

 

この写真類は片山某とかいう女性議員がコメントと共に投稿したらしい。この議員は参議院議員らしく来年に改選を控えているから、ここで名簿順位を上げておこうと揉み手・迎合・諂い・平身低頭・媚び・お世辞・おべっか…の限りを尽くして、アベに身を差し出したのだろう。ゴミである、クソである、浅ましい、無残である、哀れである、人間であることの悲しみがワタシを襲う。片山某はそのように見られることをいささかも感じてはいなかったのだろう。アベに褒められようとしてツイッターかフェイスブックかに写真など投稿したら、その余りの破廉恥非道ぶりに非難が殺到したので直ちに削除したらしいが、時すでに遅し。アベ内閣御用達新聞社の新聞号外が不思議なほど早く出て、新聞各紙には死刑執行に関する3㌢四方の活字が踊り、西日本地方の大雨での深刻な被害報告が報道され始めていた。

 

腐れ、廃れ、不浄、汚穢、荒廃…何というか、親指立ててカンパーイの投稿写真を見て、思わずゲーテの「ファウスト」の魔女達の祝宴を思った。でも魔女たちには、季節の祝宴という大義というか意味があった。だが今回のアベカタヤマたちの親指乾杯には何もない。魔女の宴に比較すべくもない、はるかにはるかに低劣でおぞましい光景である。

 

いくら極悪の人間と裁定されたとは言え、死刑は国家の手による殺人である。殺人による一人の人間の死を結果する。関係する人間たちには厳粛な態度が求められていい筈だ。過去の法務大臣の中にも、自らの信条に反するからとして、死刑命令書に署名をしなかった人間も少なからずいた。それほど厳粛な事案なのだ。

ところが親指立ててここに写るのはアベカタヤマ以下の愚かな面々の退廃した愚者の顔である。悪魔とはこのような顔貌をしているに違いない。智慧もなく思想もなく大義なく…。お前たちはすでに死んでいる人間だ。

 

ワタシは死刑制度については若い頃からいささか学習した。ワタシは死刑制度には徹底して反対である。この国は1日で7人も同時執行する国だ。そしてこの情報を何故か民放より早く入手した公共放送局NHKは拘置所からの映像を流し続けたらしい。死刑をあたかも何かのイヴェントの如く扱いリアルタイムで報道する異様さ、異常さ。日本の報道機関も荒んでいる。

 

EUは日本政府に対して、国家的殺人としての死刑制度の廃止を公式にアピールした。全てを隠蔽し人命を恣意的に殺戮する独裁者の国ならいざ知らず、国際標準というのはEUのような考え方に基づいていることを知るべきだ。無知で親指立てて死刑に拍手喝采するアベ内閣周辺の悪魔たちよ。アベ政権下で「人権意識」がどんどんマヒしている、狂っているとしか言いようがない。

 

辺見庸氏はブログでこう記す。「死刑こそが国家暴力の母型である。それは戦争というスペクタクルの、最小単位の顕示である。気づくものは、つとに気づいている。戦後政治に比類ない、犯罪者集団でもあるこの政権は、なんでもできるようになった。そして、じじつ、やりたい放題である。9条覆滅から軍事・警察国家の樹立まで。人民と民主主義の名において。」(辺見庸ブログ、20180708)

 

ワタシも今この国で恐ろしいことが起こっていることを知る。君ら知るや!戦慄の暗黒の日々が既に到来したことを!

 

無所属の会代表岡田克也が、党首討論でアベ首相に向かって、「良心の呵責、感じませんか。あなた!」と述べたことは先に触れた。しかしよく考えてみれば、アベ首相は良心を亡くしており、人間としても既に滅びているので、呵責云々がないのは当然のことだった。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

我欲だよガブリエル

 マルクス・ガブリエルさんの続きを読んでみる。

『未来は過ぎ行く時間の一部で、中身のない幻想です。ファシズムはこの幻想で大衆を動かす。つまり、未来を目指すなら、現在は悪であり、今のルールを壊さなければならないと国民を誘導する。これが今の日本のみならず世界に広がっている動きです。』

『無限の創造性を備えた各自の脳を駆使することで、「間違いを認め、そこから脱却しよう」というのが彼(ガブリエル氏)の訴えだ。スマホをやめろというのではない。自分たちの強迫観念を自覚せよということだ。…(ベーシックインカムとマキシムインカムといった上限下限をつくるといった)その理想に至るのは革命的な変化ではない。「じわじわと時間をかけて人の精神が変わっていく」と彼(ガブリエル氏)はみている。』

 

ウーン…ここでやはり思弁を得意とする「哲学者」のモノの考え方がモロに出ているな。書斎で書かれた優等生の答案だ。しかし事は今日日の世界の国々の政治経済のトップリーダーに関する事柄だ。ワタシはこのようなご高説には同調しないな。

アベとかトランプとか周とか金とかプーチン、エルドアン…などの強権家を取り上げて、すぐ「ファシズム」に短絡するのはどうかと思うよ。ファシズム、ルール破壊云々以前に、彼らの「強欲」、「金銭欲」、「権勢欲」、「支配欲」といった「我欲」に着目すべきだと思うよ。それと彼らの人格の中核をなす「嗜虐性」、「権力掌握の快楽と陶酔への依存」、及び彼らの常套手段としての「恫喝」、「殺戮」、それに少しの「悪智慧」とか。

そうした我欲衝動がトランプ、アベなどの言動の全てだ。それ以上も以下もない。

 

それともう一つ、ガブリエルさんが見落としている決定的な問題は、トップリーダーとなった輩に対する不条理な大衆民衆人民らの「空無」の意志だ。トップリーダーは何も倫理的な高さとか人間力とかで選ばれたのではない。昔からそうだったではないか。大衆民衆人民らはただ何となく不条理な「空無」を選んできたのだ。それこそがトップリーダーと大衆民衆人民との相関関係であって、そこには「何もない」。考えてみれば「民主主義」とはそのようなものだったのだろう。

そしてトップリーダーの周りには、強い香水の香りを振りまいて金ピカ入歯の諂い政治屋、金銭強欲者、保身官僚…が揉み手参拝で取り巻きへばりつく。奴らは「殿!仰せの通りでございます!」としか言わない。悪魔の時計の針はこうして動き出す。そしてトップリーダーの言葉は初めから「ウソ」になる。迎合する新聞TV雑誌は、そのウソを報道と称してひたすら垂れ流すのだ。やんぬるかな!

 

 ガブリエルさんの哲学的思弁は少しは理解できる。彼の言うようになるのかもしれない。しかしアベ政権が倒れないのはなぜかを考えていると、そのような哲学的思弁の対象にもならないような、よほどの低次元の事象が目の前で起きているので、ちょっとまってくださいとワタシは言いたくなったのだ。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ちょっと待ったガブリエル

 “政治に倫理は大事なものではなくなったという新聞見出しにワタシは居心地の悪い変な感覚を覚えて記事を読んだ。マルクス・ガブリエル(38)というドイツの哲学者のインタビュー記事だ(毎日新聞20180706、藤原章生記者)。ワタシはこの人の名前も知らず訳書もあるらしいが読んではいない。

 まずはガブリエル氏のインタビュー記事の要点を記す。中心主題は「安倍政権はなぜ倒れないのか」だ。

 

『政治スキャンダルをいくつ重ねても政権が崩れない現状は「まさにファシズム的統治の成果」だとガブリエルさんは言う。…「有権者はかつて、倫理を備えたリーダーか、そういうふりをする指導者を求めてきましたが、最近は政治にとり倫理は大事なものではなくなった。典型がトランプ、安倍政権です。』

 

 フンフン、この二人はたしかにそうだ。倫理というか人倫、道義、モラル、道徳…まぁこのように言われるものに無感覚・無自覚だな、それはたぶん生来のものに加え生後の反倫理的な生活の中で肥大化したものだ。それだけのことだ。そして国の指導者のトップに成りあがったのは、トランプは資金力・ロシア介入・反知性主義・福音派など、アベは血統即ち冷血の岸の血と父親晋太郎の毛並みを引いてその七光りで成りあがった、いずれも外的要因が全てだね。

つまり、トランプとアベは共に「空無」(無教養、無思想、無哲、無主体…)にもかかわらず、トップに上り詰めた。それは彼らの「実力」(知的能力や人間力など)ではないよ。アメリカのオバマに対比すれば、トランプは非倫理いや無倫理、日本のアベも似たり寄ったりの人間だな。そしてこの二人が政治世界のトップの椅子に坐することができたのは、何とない群がる取り巻き屋、諂い政治家、愚かな大衆(!)たちが、何となく押し上げた結果だ。

M.ピカートがヒトラーの出現と呵責なき残虐さについて指摘していた事柄だ。キーワードは彼らの「空無」であって、ガブリエルさんの言うような倫理云々よりずーっと以前の空っぽの何かだとワタシは思う。

 

 さらにガブリエルさんの言葉を聞こう。

『世界の指導者の誰もが当選直後のトランプ氏が何者なのか、この現象が何なのかわからず戸惑っていたとき、安倍さんは(201611)いち早くトランプタワーを訪ね、最初にお墨付きを与えたという印象を世界に遺した。大統領候補にすぎなかった時代は距離を置き、当選するとすかさずすり寄る。ちょっと恥ずかしい振る舞いだが、「大事なのは実像ではなくイメージ」とガブリエルさん。』

 

 そうでした、ワタシは格別アベさんとも自民党とも関係のない一市民ですが、たしかに恥ずかしくて、押し入れの中に逃げ込みたいと思いましたよ。金のゴルフクラブなぞ持参して、本当に汗が出ましたよ。ではガブリエルさんが言うイメージを、誰に・どこに植え付けるためにアベは官房長官のスガとこんな茶番を演出したのですかね。そこが全くわからないな。実像はみすぼらしいの一言ですからね。おそらくアベは何も思慮なくアメリカに飛んだことだけは間違いないね。凡庸なバカの直感というヤツだ。それだけのことだとワタシは思う。 


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

精神の病み

 

 無所属の会・岡田克也氏は627日の党首討論の場で、いつもの通りのグズグズの何を言っているのか論旨不明の答弁をするアベ首相に対して、「良心の呵責、感じませんか。あなた! そのことだけ申し上げておきたい。」と述べて党首討論を終えたと新聞記事にあった。

 

岡田氏はかつて同僚に「安倍首相だけは話をするのも嫌だ」と漏らしていたと言う。おそらく近しい者にしかわからないアベの廃れた人間性、例えばとっさのウソ、論旨不明の言動、人間に対する冷酷さ、無知による傲慢、知性の欠如…そういった彼の人間性に嫌気がさしていたのだろう。嫌悪していたから今回の党首討論も不承不承だったのだろう。何を言ってもアベ首相は不誠実で「心が亡い」から、答えがまともに返されることはないことを承知しているからだ。そしてこの日もその通りになった。だからこの捨て台詞となったのだ。岡田氏も勇胆である。M.ウェーバーの言う職業政治家である。

 

 古賀茂明氏のこんな記事を目にした(LITERA180628)

『安倍氏は、残虐性、非人間性、執拗性。これらをすべて持っていて、それが徹底している。「こいつは!」と思ったら、辞めたからそれで終わりじゃないんです。辞めたあとも徹底的にやってくる。たとえば、前川さん(喜平・前文科省事務次官)のように、人格攻撃もやるし、講演にも横槍を入れる。僕も講演は最初はいっぱいあったけど、なくなっちゃった。そういうことをされるのが見えているし、多くの官僚にとってそれは恐怖でしかない。」 「第一次安倍政権では、自分のお腹が痛くなって辞めたわけだけど、でも安倍さんはそうは思っていない。「マスコミにやられた」と思っているんです。だから下野時代に「今度政権についたら、まずマスコミを抑える」と執念深く考えていたのでしょう。だから本気で批判してくるメディアやジャーナリストは自分にとって一番危ない“敵”とさえ思っているんです。」』

 

 古賀氏は経済産業省の第一級官僚だった。官僚辞任後にはテレビ朝日報道ステーションコメンテーターをつとめでいたが、アベ、スガら官邸の圧力によってその職を辞した経緯がある。その後も国の権力、アベ政権と正面切って戦う姿は、日本の健全な言論がまだ呼吸していることに気づかせてくれる。今の日本にとって貴重な論客である。古賀氏のこうした言動は、もっと広く知られてもいい。

 

このアベ内閣をなお支持する者たちが世論調査で再び増加したというから、ワタシは脱力の中にいる。「目の前にある物事はすべて正しいのだ・存在価値があるから今目の前に存在しているのだ」と感じて、アベ内閣を無自覚のうちに支持している人たちが多くいる。とくに若い人たちに。だがアベ内閣のような政権運営が今後も続くと、日本はどんどん廃れていって、君たちの「自由」が次第に阻害されていき、とても生きにくい世の中になることをワタシは預言しておこう。

 

アベの精神はかなり怪しいとワタシは考えている。この考え方に同調する精神医学者も少なからずいる。厚生労働省のHPによれば、パーソナリティ障害の定義は、「その人の属する文化から期待されるものより著しく偏った内的体験および行動の持続的パターンであり、ほかの精神障害に由来しないもの…」とされている(世界保健機構の精神疾患の診断基準(ICD-10)やアメリカ精神医学会の診断基準(DSM-IV-TR 2000)による)。また精神病質に関する文献を調べていたら、Key wordとして「サイコパスは逆境の中に自分の存在意義を見出す」とあった。アベの実存世界を読む手掛かりになる。彼の精神の病みをワタシは感じている。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

私には罪はない

 『ゲッペルスと私』という映画を見た友人の話である。

ゲッペルスは、アドルフヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握と体制維持にあたって、初代国民啓蒙宣伝大臣として様々なプロパガンダと報道管制で手腕を発揮した。敗戦の直前ドイツ国首相に任命されるが、ヒトラーの後を追って家族とともに自殺した人物だ。ナチス政権の国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルが、終戦から69年の沈黙を破り、撮影当時103歳にして初めて取材に応じたドキュメンタリー。インタビューを敢行したのは、クリスティアン・クレーネス、オーラフ・S・ミュラーら4人の監督たち。いくつもの高精度カメラは、ポムゼルの深く刻まれた顔の皺や表情だけでなく、瞳の奥に宿す記憶をも鮮明に捉える。近代史最大の戦争犯罪者のひとりであるゲッベルスに誰よりも近づいた彼女の、30時間に及ぶ独白を通し、戦時下における人道の危機や抑圧された全体主義下のドイツ、恐怖とともにその時代を生きた人々の姿を浮かび上がらせていく。ナチス政権の国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルが、終戦から69年の沈黙を破り、撮影当時103歳にして初めて取材に応じたドキュメンタリー。インタビューを敢行したのは、クリスティアン・クレーネス、オーラフ・S・ミュラーら4人の監督たち。いくつもの高精度カメラは、ポムゼルの深く刻まれた顔の皺や表情だけでなく、瞳の奥に宿す記憶をも鮮明に捉える。近代史最大の戦争犯罪者のひとりであるゲッベルスに誰よりも近づいた彼女の、30時間に及ぶ独白を通し、戦時下における人道の危機や抑圧された全体主義下のドイツ、恐怖とともにその時代を生きた人々の姿を浮かび上がらせていく。

この映画は、そのゲッペルスの秘書をつとめた女性のインタビューを中心に構成されている。彼女は1942年から終戦までの3年間、ゲッベルスの秘書として働いたが、戦後を生き抜き103歳当時にインタビューを受けた。「私は、言われたことをタイプしていただけ」と語り自分には罪の意識はないとインタビューで強弁する。

 

往時の仔細を彼女は驚くほどの記憶力で覚えている。しかしその記憶は空っぽの映像のようで人間の情愛とか親しみを伴ってはいないのだ。まるでどこか異国での出来事のように語られるのだ。ホロコーストと言われる、ユダヤ民族や障がいをもった人間をガス室に送った大量虐殺の責任者の影を感じながら、彼女の言に違和感を覚えながら映画を見るのだ、何かがおかしい間違っている、と感じながら…友人はこのように語った。

 

 ヒトラーが出現した当時のドイツの情況、ヒトラー及び彼を取り巻く指導者たちの思念などについてはM.ピカートの言を聴こう。

「現代のデモクラシーのなかでは、権力者の座にすわり独裁制を確立することのできる人間は笊(ざる)ですくうほどある、…しかし、そのようなことがおよそ可能なのは、ただ、現代社会では誰もが無目的にどんなところへでもつるつると滑ってゆくからなのだ。かくて誰かがたまたま国家権力へと滑り寄る。…当人自身は別に権力手段の獲得を目指して努力する必要もないし、闘争をする必要もない。権力手段は手当りばったりに抱きつかれるだけのことである。…したがって、ヒトラーは征服をあえてする必要はすこしもなかった。…すでに権力を手中におさめた今になって、彼は権力者につきもののあらゆる身振りを真似てわめきちらし、彼が独裁者となり得たのはおのが行為によってであって、決して錯乱状態のもたらした偶然によってではないことを証明しようとして、暴虐や殺人に憂身(うきみ)をやつすのである。…ただ現代の全面的非連続性の世界においてのみ、ヒトラーのごとき無価値な人物が指導者(フューラー)となり得たのである。」(M.ピカート、佐野利勝訳:われわれ自身のなかのヒトラー.P.11-13、みすず書房、1965.)

 

 ワタシは『ゲッペルスと私』の映画の話を聞くにつけ、今の日本でヒトラーの再来のような現実が迫っているような気がしてならない。今日日凡庸で嘘つきで嫉妬深く冷血で罪の意識のない人物が日本の政権の玉座に坐しているではないか、M.ピカートが指摘するように。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

サッカー報道成果絶大なり!

 

 ここ数日新聞がオカシイ、というよりサッカーの国際大会の報道一色で、日本が勝った試合など1文字3㌢平方ほどの文字がバタバタ躍っている。世の中サッカーファンでなければ人にあらずの様相だ。気色悪い。

ワタシはサッカーには昔から興味がない、日本の選手の名も監督の名も知らないのだが、ワタシほどの無関心派でなくとも、この躍るような新聞見出しには辟易している人たちも多いのではないか。サッカーのドデカイ写真と見出しを除くと、老者向けの尿洩れパンツや下着の全面広告しかないようにも見える。その他の記事はいかにも気のない様子で、スミマセンここにも記事がありますよ…といった風情だ。

 

そこでワタシは「大本営発表!…ミッドウェー沖に大海戦列島猛攻…米空母二隻撃沈…大日本海軍全勝…」といった戦中の新聞見出しを思い出していた。いずれも大見出しだ。かつてこうした見出しとともに新聞は国民を欺いた、政府に迎合し政府の陰謀に加担した、このような目くらましによって新聞は自壊していった。だから新聞の大見出しは本当に大事な事柄、真実と事実を覆い隠すこともある。

 

今日日国会も開会中のこととて重要な審議も行われている。アベに「党首討論の歴史的役割は終わった」とか珍奇な発言をそのままにしておいていいのか、モリカケ・消費税増税・働き方改革・カジノ法はどうなのだ…野党はこぞって疲労して次の決め手を暗中模索の体たらくだ。

国会会期延長の策はアベの奥の手で、野党もしてやられた感が強い。つまりアベたちは野党の疲労困憊を見透かしている。兵糧攻めでモリカケも働き方改革もカジノ法も問題点を有耶無耶にして国民を騙す策だ。総裁選しか眼中にない。

 

権力は内部から腐敗し廃れる。国民を欺くこと常套手段にして権力維持に都合の良い法律政令を作り続ける。権力を一たび掌握するとその永続のためにあらゆる策を弄しつつ、権力に伴う快楽に溺れ陶酔する、そこには背信と背理と反道徳が支配する、国民など眼中にない愚かな虫けらにすぎない…こうした意思をもつ権力者たちを監視し、腐敗と虚偽を糾弾し、社会正義と国民の福利に役立つことを新聞などのジャーナリズムは主眼としてきたのではなかったか。

新聞は野党と同様疲労困憊なのか、ネタが尽きたのか、噓つきアベアソウスガらに敗北宣言か、内閣御用達のいくつかの新聞TVと同様、アベ内閣の軍門に下ったとでもいうのか…サッカー新聞大見出しで、ワタシはこのように考えてしまう。だが新聞だけはアベらの軍門に下ってはならない。アソウは新聞読むヤツは自民党支持者ではないとヒトラー並みの発言をした。トランプに似通ってきた。その実新聞読む人間がこわいのだ。

 

いずれにせよ、新聞報道もTV報道も狂ったような大見出しと数時間も続くような評論家の試合分析はほどほどに! 国会審議内容がそのおかげで小さくあしらわれて、アベさんアソウさんスガさんたちは大喜びだ。ほくそ笑んでいる。サッカー効果絶大である。これでモリカケその他からの逃げ込みは確かなものになったな、そろそろアベさん三選の準備に本腰入れてとりかかろうか、今夜も官房機密費でシャブシャブでカンパーイ!だな。 


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

政治場は死屍累々

 

 米国大統領トランプは、TVインタビューでこう述べたそうだ。

「「日本で私は世界的な英雄だと思われている」と主張した。そして、政権の成果を米国内の主要メディアが適切に報じていないと批判する一方、「アジアの人たちはよく分かっている。彼らは感激している」と指摘。米朝が対話に転じたことで「この6、7カ月間、日本上空をミサイルが飛んでいない。それ以前は独立記念日の花火のように(北朝鮮がミサイルを)打ちあげていたのに、だ」などと語った。」(毎日新聞20180625、要約)

 

 この記事を読んでワタシは一瞬、これが一国の大統領発言かと息を飲んだ。アレ、誰かそんなことを言っていたかなー、そうか日本国へつらい内閣総理大臣なら面と向かってそんなことは話しただろうよ、しかしこれもトランプの出まかせのハッタリに間違いはない。北朝鮮金との話し合いの結果はその後どんな進展を見せているかは知らないが、何もかもトランプのパフォーマンスには間違いない。

しかしアジアの人たちが感激云々についても、日本上空をミサイルが云々についても、これらは全て国際政治上の「成果」が明確になってから「評価」されるべき事柄である。「トランプと金が会って話し合いをした」だけで「評価」されるべきではないこと、子どもだってわかるだろう。当たるかどうかもわからない宝くじを大量に購入してやったぜーと叫んでいるようなものだ。やれやれ!

 

一国の大統領発言としては、あまりに幼稚で笑止千万ということなのだが、この大統領の言葉はいつも「死んでいる」こと、日本国内閣総理大臣と等しい。両者とも「心」というものがない。そしてトランプ、またアベ・スガ・アソウも、直近の取り巻きをイエスマン・諂い者・迎合者・ゴマすり者・ご機嫌取りで固めているので、おのずから慢心する、真実が見えなくなる。裸の王様となる。

トランプもアベ・スガらも、少しでも反論・批判する者あらば直ちに斬首・馘首・免官・罷免であるから、保身に走る取り巻きは何も言わない。殿!仰せの通りでゴザイマス!ご無理ごもっとも!となる。アベらの取り巻きには当然自民党の輩も入る。アベごときに揉み手でペコペコして腰をかがめている自民党の長老・中老たち、派閥の老者たちの耄碌ぶりは無残である。老残を晒し続けている。アメリカの共和党同様、日本国の自民党も死んでいる。少しは政治の表裏を垣間見たことのあるワタシにとって、自民党の死屍累々の様を見るのは耐えがたい。だがアベは総裁選までは"死んだフリ"するだろう、そしてやおら起き上がるだろう、既に死んでいるというのに…。やれやれ!

 

トランプの記者会見とアベの記者会見を見て共通する事柄があることに気づいた。それは彼らを取り巻いている輩がことごとく悪相だということだ。勿論トランプ本人、そしてアベ・スガ・アソウら本人たちが悪相であることは言うまでもない。

この人たちは、もともと悪相だったのだろうか、それとも後ろめたい事柄に手を染めたり悪に染まることによって悪相になったのだろうか――仲間たちの雑談で話が出た。結論は言うまでもなく後者である。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

《言葉》を聞いた!

 

 623日は73年前の沖縄戦などの犠牲者を追悼する「慰霊の日」。この日の戦没者追悼式では、沖縄県翁長雄志知事が「平和宣言」を読み上げた。翁長さんはその中で、日本の国土面積の約0.6%にすぎない沖縄県に、米軍専用施設面積の約70.3%が存在していることの不条理と、広大な米軍基地から派生する事件・事故・騒音・自然破壊に翻弄されている沖縄の現実を直視すべきとした。そして日本政府が進める米軍普天間飛行場の辺野古への県内移設を容認することはできず、この移設は沖縄の基地負担の軽減のみならず、アジアの緊張緩和の流れに全く逆の方向を向いているものだと糾弾した。

この宣言文は翁長雄志氏の裡から発せられた「言葉」に違いない。論旨明快な宣言である。

 

この追悼式では、沖縄県浦添市の中学三年生の相良倫子さんという生徒が、自分でつくった平和の詩「生きる」をはっきりした口調で朗読した。この詩は、沖縄戦を生き延びて94歳となった彼女の曾祖母の体験談を聞いてつくったもの。ワタシはこの詩全文を読んだ(毎日新聞23日夕刊。この彼女の詩を全文掲載した毎日新聞の見識にも敬意を表する。他の新聞社がどのように取り上げたかは知らないが。)

彼女は純な気持ちでこの詩を書いている。それは率直で童子の心が温かく伝わるものであり、それはまた沖縄の自然を、戦争の悲惨と不条理を、平和とは何かを謳って雄弁である。相良さんには失礼ながら長い詩なので詰めて記させていただく。

《私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。…73年前、私の愛する島が、死の島と化したあの日。小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。…家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。…それなのに壊されて、奪われた。生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。…心から、誓う。私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。…平和を想像する努力を厭わないことを。…

ワタシは不覚にも胸が詰まり涙した。ワタシの凡庸で怠惰な感覚に鋭利に突き刺さるトゲとして刺さった。

翁長氏の宣言文に、相良さんの詩に、ワタシは久しく触れなかった《言葉》を聞いた。

 

 この日、日本国内閣総理大臣アベ某も出席していて、列席者から怒声も浴びせられたようだが、新聞には彼の原稿も掲載されていた。この原稿は、ここ数年官房長官スガ某がコピペして本年版として一部修正したものに違いない。空説、空理のベタッとした「心」のない原稿である。

何しろアベさんは昨今の言動から「噓ツキアベ」として小学生にも笑われているらしいし、何かやっているふりしてモソモソして一向にエビデンスを生産していない「やってる感」だけの御仁であるからして、本来この沖縄の戦没者慰霊の式典には出るべきではなかった。だが何しろ「何かやっているふう」だけが取り柄だから、「やっているふう」に出席して、読み上げた原稿の中身もウソで埋められていて「心がない」。

だからワタシは、はじめから噓をつき続けるアベ某やアソウ某、スガ某ら日本国政府内閣の御仁には、翁長さんの宣言文を・相良さんの詩を・家に帰って一人で読んでみろと言いたい。しかしまぁ彼らが涙を流すことはなかろう、彼らには涙する心がもともとないから。

だからワタシはM.ピカート氏の言葉をアベ某らに送ろう。

 

言葉は、人間の内部が微塵に分裂し、連続性を喪失することによって破壊される。そうなれば、真理の連関的な力、法則的で包括的な力は言葉のなかに存在することができず、したがって真理はその表現を獲得することができなくなる。言葉ははじめから嘘になるのだ。 (M.ピカート、佐野利勝訳:われわれ自身のなかのヒトラー.p.72、みすず書房、1965) 


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

またまた馬鹿が…

 

「受動喫煙対策を審議した衆院厚生労働委員会で、がん患者が参考人として発言した際に自民党の穴見陽一議員が「いいかげんにしろ」などとやじを飛ばしたとして、患者団体が反発していることが21日、分かった。」(共同20180621)

 

穴見某なる議員の素性をWikiで調べたら、大分県出身衆議院3期目、幸福の科学とかの胡乱な宗教団体が母体とも、スガ官房長官と同じ大学を中退とも(この同じ大学というのが一連の問題のヒント)。まぁ経歴などどうでもいいが、この穴見某なる御仁、アベ・アソウ・スガに「キミ、よくやったね!勇気あるね!」と賞賛されたいがゆえにこの下劣極まりない発言をしたのだ。小物小人である。こうでもして目立たないと次の党推薦から外されるに決まっている、この辺で目立つ必要があったのだ、お詫びの記者会見などするに決まっている、そしてしおらしくアタマを下げて「ご出席の患者さんはじめ皆様にご迷惑と不愉快な思いをさせて……」云々。そしてTV新聞にも顔が出る・・・・とまぁ見え透いた確信犯的「犯行」である。狂っている。廃れている。

そして実際アベ・アソウ・スガは、間違いなく穴見某をほめたたえるだろう。見え透いた嘘、下品下劣、阿諛追従を強いる、無教養(スガは先日の地震で被災した枚方市をマイカタシと言って失笑侮蔑された、だがこれは三馬鹿のホンの1)…穴見某と同類の輩だからな。この穴見某に選挙で投票した大分県民は、今大いに失笑を買っていることを忘れないでくれ。

 

国会議員に対して官僚がヤジを飛ばしたのは阿諛追従の典型にして「馬鹿」なのだが、これに倣ったのだろう馬鹿の穴見某は「患者」に対して「暴言」を飛ばしたのだ。これは「馬鹿」を通り越して、何よりも「国民をナメている・貶めている・特定の患者の人間性を毀損している」点において「犯罪」である。許すことはできない。いくら裏でアベ・アソウ・スガがほめたたえようとも。

 

ワタシはこの413日に本ブログで《「馬鹿の政治」の一幕》と題して投稿した。

…「馬鹿」は「馬鹿」である。「馬鹿の政治」の一幕。ある日の予算委員会で野党議員の質問の際、官僚の一人が”閣僚の覚えよろしく”を狙ってヤジを飛ばした。そしてその官僚が当然のことながら野党議員に突き上げられた。一官僚が国会の委員会で野次を飛ばすなど言語道断無礼で世が世ならその浅薄さに打ち首のところ、今日日の荒み切った内閣のあのメッセンジャー官房長官が「あれは助言でした」と答えた云々。この菅という官房長官(s)は狡くて諂い上手くドブの臭いを発する策士だから一晩二晩寝ないで記者会見の回答をひねり出したのだった、そうだ「助言」の一言で騙そう逃げよう…。前は隠すが後ろ姿がハダカなのに気づかぬのは安倍内閣総理大臣(a)だけではなかった、この二人「馬鹿」である。… 

そして明治の巨人内村鑑三翁の言を引用した。「鹿は鹿なり馬は馬なりと知ると(いえど)も若し政権の()(へつらう)べきあれば鹿を見て馬と呼ぶにあらずや」(内村鑑三:求安録、内村鑑三全集2p.202、岩波書店、1980.) 

明治の世も今と変わらない現実があったのだ。この鑑三翁の言の背景には、薩長政治の腐敗、官僚の堕落、成金経済人の台頭などがあった。でも当時の彼らは、今日のアベ・アソウ・スガらほど道徳的に廃れた「馬鹿」な連中ではなかった。

 

前回の投稿から以後新しいことは何もない、何もこの間変らない。アベなどは、サッカーの国際大会で日本が勝ったことに触れて、金融機関団体のオトナが集まる集会の挨拶で、「弱く見えた日本のチームが勝ったんです、やろうと思えば何でもできるんです…」云々と真剣大真面目な顔で述べたらしい、総裁3選がかかっているからな。その幼児性に満席失笑、侮蔑笑いだったに違いない。

そして北朝鮮案件でも何やらわからぬがモソモソと不安神経症の如く「やってる感」のアベの生き延び作戦が始まっている。それに加えてアベ嫁は、週刊誌によるとカルト団体風の講演会で変態コレクターと呼ばれてはしゃいでいたらしい。もうこうなるとこれらご夫婦も「狂っている」としか言い様はない。馬鹿が続いて出ている。今の日本、無残である。 


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の10件 | -