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「私にも言論の自由がある」だって?!

 

 「私にも言論の自由があるのでしゃべらせてくださいよ!」 安倍首相が国会の予算委員会でこのように発言した場面をかつてTVニュースで見て、違和感を通り越して啞然呆然、思わず失禁() しそうになったことが強烈な不穏な印象としてワタシに残っていた。彼は自分の置かれた日本国首相の身分を忘却してこう発言したのだった。あぁこれがわが国を代表する宰相総理大臣首相かよ! そう感じた人はワタシばかりではなかったはずだ。

 

そもそも「言論の自由」とは①日本国憲法で国民に保障された権利である、これは中学生にもわかるだろう。そして②この権利保障は、国家権力が国民の言論の自由を保障したものであって、国家権力によって国民の言論の自由が抑圧されてはならないことを意味している、これも中学生にはわかるだろうが、安倍首相にはわからなかったのだ。きっとそうだ。彼のためにもう一度おさらいしてあげよう。日本国憲法のこの部分だ。

「第二十一条①集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」

彼は大学を卒業しているはずだが彼に「憲法」を教えたセンセイは誰か。

 

 安倍首相のこの発言があったのは2014年のことで、TV報道に偏向があるとして彼が怒り国会の予算委員会でその不適切さを指摘されると、突如立ち上がって発言を求めたときのことだとわかった(古賀茂明:日本中枢の共謀.P.137、講談社、2017.)。古賀氏は続いてこのようにも記している。「安倍総理は大学で憲法を習ったのだが、知的レベルが低すぎて、「立憲主義」という憲法に関する最も重要な基本哲学を理解することができなかったという説も囁かれた。」(同書、P.151) 宜(むべ)なるかな。

 

 ワタシは古賀氏のこの一文を読んで得心した。胸に突っかかっていた魚の骨がとれたように感じた。その安倍首相以下政権政党が憲法改正を声高に叫び始めている。彼らが提案している改正条項は第9条だけではない。そしていかにもそれらしい商業雑誌のいくつかが並走するかのように確信犯的に特集を組んで論陣を張り始めた。勿論それらしい論者が次から次へと安倍首相らの言質に諂いの賛意を示し始めた。こうした輩はきっと日本国憲法を胸に手を当てて読んだこともないとワタシは確信している。

 

「”東京裁判で敗戦国の日本を極悪非道な悪者にするために南京事件をでっち上げたGHQが、日本国憲法を日本に押し付けたといった程度の認識しかもたない議員が少なくありません。」(笠原十九司、世界、201712月号、p.176)

事は安倍首相に憲法を教えた大学のセンセイの問題ではないのは言うまでもない。


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「おいおい国」はいい加減だが寛大である!

 

 「おいおい国」では不倫やら盗みやら嫉妬妬みやらもあるだろうから、長老が大岡裁きを行うこともあるだろう。長老に軽い認知症があってもいいじゃないか。但し長老も大岡裁きも女性(バアサン)が役割を担う。男(ジイサン)は先述のように小心で嫉妬深く闘いを好み自立していないから長老や大岡裁きには向かない。原始から女性は戦いを避け自立していたし「おいおい国」でも女性の完成された十全さの能力を発揮してもらおう。ジイサンは小さくなっていることが望ましい。しかしながらここでは不倫も盗みも喧嘩も嫉妬も何もかも放置が原則だ。

 

『吉里吉里国』では日本政府に楯突いて憲法や法律、通貨まで変えて抵抗しようとした。ところが「おいおい国」では、憲法以下法律規則条例通知…そのような下らないものは一切制定しない。そもそも法律以下の云々によって人間は自由を捨ててきた歴史がある。今の人間社会を見てみろ、人間は法律云々…にがんじがらめにされて全身を拘縮されながらチマチマと生きて一生を終えていくじゃないか、こんな非人間性をもたらす定めなど「おいおい国」には存在しない。いずれ近いうちに老者一人ひとりの生命は閉じられるのだから。自由及びいい加減が全ての価値の根本原則となる。

 

危険なのは経済活動だ。トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房、2017.この本は難しかったな。ワタシはすべてを咀嚼していないのだが)で指摘されているように、資本主義の宿命は富の寡占によるグリード(強欲)・格差の出現ということだ。だから資本主義への傾斜を止める必要がある、つまり労働価値や交換価値は考慮の埒外とし、日々の糧を物々交換して完結するだけの社会だ。

でも遺伝学者や生殖医療にたけた老者がいて90歳のバアサンに赤ちゃんが生まれたりしたらどうしよう。新たに産業革命が進展して、海を隔てた一般社会とのビジネスを始めようと提案する元商社マンが出てくるかもしれない。そうしたら元も子もないということになるのか。でもこんな妄想も悪くはない、面白いハナシだな。

 

『蕨野行』の世界はあながち私たちと縁遠いハナシではない。5人に一人が認知症になる社会では、異常・正常の価値観も変わっていて、認知症の患者が社会を牛耳っているかも知れない()。事実直近の衆議院議員選挙では暗愚の宰相の居座る政党に対する高齢者の支持率は極めて低いのだ。じゃあ若い層が支持したしたのかと言えば必ずしもそうではなく選挙当日の出口調査では「他になかったから仕方なく」だ。だから老者がこれからの社会の方向性を左右していく可能性は大きい。これはブラックジョークではない。

 

何よりも人間が自由と感じ幸福と思える社会を創り上げることができればそれが一番いいのだ。社会的価値観とか社会規範も変化するし、幸福の考え方や測り方も変わるだろう。将来何が起こるかわからない。老者はいずれ逆襲に転ずるに違いない。しかし老者の智慧は寛大で若者の社会生活には格別の自由を保障することになるだろう。


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老者の逆襲が始まる≪現代蕨野考≫

 

今及びこれからの時代、老者が老者だけの社会を作っていくことにワタシは関心がある。この場合一般社会から時間的空間的に老者社会を切り離すのだ。老者社会は一般社会の全てのシガラミから解放されているのは当然。

 

でなければこんな社会がいずれ到来するだろう……老者は昼間歩くのを禁じられ交通機関の利用時間を制限される、冷暖房付きの図書館や公民館の利用禁止、認知症患者は医療機関に出入禁止され無言の圧力で安楽死の選択を強要される、ナチスのT4作戦のように触法認知症患者は劣悪な環境の収容所に送られて食事も与えられず放置されて死を迎える……こんなおどろおどろしい恐怖に満ちた社会が現実のものとならないと誰が言えるのか。今の日本や世界のように不寛容が進行する社会から展望すると陰陰滅滅のイメージしかわいてこない。「人権」といった20世紀になって発見された人間(老者)の生存権利など、将来にわたって望むべくもない社会になっているのではないか。今次日本国の共謀罪の施行などはそのことを予感させる。老者にとってはいずれにしても生をないがしろにされる社会が進行していくのではないかという予感がワタシには強くある。

≪であるならば≫  とワタシは貧しいアタマで考え続けている。

 

井上ひさし『吉里吉里人』は、東北地方のある村が日本国政府に愛想を尽かし「吉里吉里国」の独立宣言をする話だ。政府は全力でこれを防ごうとするが、吉里吉里国では村民そろって食料の自給自足生活や通貨廃止等によって政府に反抗するのだ。

『吉里吉里人』や『蕨野行』に倣って「役立たずになった」老者たちの孤島への隔離(移住)はどうだ。その代わりこの老者社会では、全て自活しなければならないから日常生活は厳しいぞ。身体が健康であれば何も言うことはない。米麦ソバ酒は皆で作る(元農業酒蔵)PCスマホ携帯はない、畑仕事と海釣りや川釣りは趣味にはならず日々の生活の糧だ(元農業漁師)、木を切り倒して住居は皆で建てる(元大工)、綿花と蚕を飼って衣服とする、火起こしは日課、性は自由(但し相手はジイサン・バアサン、避妊具は不要)、石や野草から生薬を作る(元医者や薬剤師)、さしづめ国名は「おいおい国」とまぁこんなことを考えているうちは面白い。でも意外とこのムラでの老者の平均余命は一般社会より長かったりするかもしれない。

 ひょっとすると今の日本で過疎地域限界集落と言われる村落などでは既にこのような社会生活が営まれていると思われる。蕨野行現代版は遠くにあるわけでもない。

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どっこい老者も生きていく


『蕨野行』では老者は若い人たちから構成される社会から放逐される。その村での役割は終えたし老者が社会的に機能する場は失われている。農作業する体力も失われたしボケ(日本では放送禁止用語!)てきたし、歩行など日常生活動作も覚束なくなってきて家族の負荷になってくる。家族の単なる「穀潰し」(これも放送禁止用語!)となり放逐されるのだ。しかしその実、背景にあるのは飢饉であり領主の苛酷な年貢取立てのゆえの絶対的貧困なのだが。

 

しかし、しかし、老者たちは生きているし生きていかなければならない。家族にとっては放逐を喜ぶ者はいるし社会規範だからと諦める者がほとんどなのだが、中には老者を家族にとってかけがえのない人間として愛着を抱き老者を放逐することに反意を抱く家族もいるじゃないか…この小説は決まりきっているとされた社会規範や因習に反論している。

 

似たような作品として『楢山節孝』(深沢七郎)がある。これは老いた(小説では70)母親を息子が村の因習に従って山中に放置しにいくのだが、この因習の非情に対して、母親を敬愛する心優しい息子と嫁の耐えきれない心情と反抗が描かれる。

老者は社会から放逐され親子家族の別離の哀切を描いている点ではこれら二つの小説は同じだが、『蕨野行』では放逐された老者たちのその後の人生が描かれる。つまり老者たちは収穫し争い恋慕し性行為を行い嫉妬し病気になり政治し埋葬し死を体験していく。つまり再び「蕨野社会」を形成しその中で生活していく。小説には役立たずになった老者の生の実存が描かれる。

 

あるスウェーデン人から、老者を(若者)社会から排除する因習は近代以前にスウェーデンにもあったと聞いた。かの国では太い棍棒で老者たちを撲殺したのだという。近年遺跡からその棍棒が出土したらしい。さすがバイキングの国、やることが大振りで荒っぽい。スウェーデンは世界に先駆けて「安楽死法」を制定した国だけれども、このこととどこかでつながるのだろうか。

わが日本にも安楽死法制定の動きがある。


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お荷物になった老者を棄てる社会がやってくる 

 

 ワタシの母は死の前年白寿のお祝いの賞状と記念品を県知事からもらった。でもこのような行事がいつまで続くのだろうか、それほど遠くはない時期に廃止されるだろうか、いや行政は一応「長寿はめでたい」のフリをしていなくてはならないから廃止されないだろう。問題は心込めての有無だろうが、もともとそんな思想は無い。だから余計に家のゴミになるような盃や花瓶のようなものはワタシはいらない。

ワタシはタイの高名な坊さんに占ってもらったときに「アンタは90歳以上まで生きる」と言われた。仮に93歳とすればワタシはあと20年も生きなければならないのだ()。勘弁してくれと言いたいが全て成り行きだ。なるようにしかならない。その頃には老者は・ワタシはどのように生活しているのだろう。

 

長寿は人間の夢であり希望ではあった。しかしながら”長寿社会”を「達成」した今現在、老者は次第に「社会」のお荷物になってきている気配が濃厚だ。

『蕨野行』(村田喜代子、文春文庫、1998)は棄老の話である。高齢(小説では60)になると全ての老者は家族の住む村落から遠く離れた山奥の地に放逐される。老者たちは食料がなくなると元の名を捨てて村に入り食料の施しを受ける掟があり、雪が深くなり村に降りる体力も無くなると老者には死が待つ―そんな口減らし話でもある。

蕨野の掟では畑を耕し収穫することや鳥や獣の肉を食することはご法度なのだ。ところがこの度蕨野に入った8人の老者たちはそうはいかないと禁を破り老者たちの自活生活を始めるのだ。小説はその生活の悲喜こもごもが描かれる。この作品を恩地日出夫が映画にもした。作品は単なる虚構ではなく東北地方に伝わっている歴史実話をモチーフにしたらしい。

 

この作品が興味深いのは、「老い」を健康で元気闊達な人間によって構成される社会の目から老者たちを「どうしようか」と考えたのではなく、「老い」を受容した老者たちが自ら「どのような生活をしていけばいいか」を考えた境地から描いている点だ。

古からの因習や掟や社会規範に対して老者たちは反抗し自らの生を大切にしようとして行動を起こす。老者たちは体力の持ち合わせはないが、反抗に見合うだけの智慧と人間に対する慈愛の心を持ち合わせていた。


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「美しく老いる」なんてくそくらえ!

 

 娑婆は邪悪と狡猾と猜疑と妬みに満ちている。喧噪と猥雑そのままだし何が正で何が邪かも皆目判然としなくなってきている。米国の大統領なぞ邪を正と言い続けて大統領に成りあがった。邪も正であると言い続け彼の取り巻きがそうだそうだと諂(へつら)い続ければ、いずれ邪は正となっていく。そしてそうなりつつある。

当該わが日本国の「モリカケ」事案も暗愚の宰相が何も手を汚していない忖度もなかったと言い続けて官僚が諂い続け、宰相の女房もあらそんなことがあったかしらと白を切り続け昨日までの友を犯罪者に貶め続けて、モリもカケも邪が正を制しつつある。誰が見たって件の二件ウソの万華鏡。国会議論も空虚にして白け陰隠滅滅の様相、国会は議会制民主主義の柱を失おうとしている。憲法改正の議論は五輪の後にしろと宣う面妖な国会議員まで出てきて、ワタシはこの国に斯様な政治屋が跋扈して世も末かと夜も眠れない。しかし、しかし、この大統領といいこの宰相といい、民主主義のルールに則って彼らを選択したのは誰々なのか。これが娑婆の現実だ。

 

認知症の人は社会の中で専門家や行政官やその他の関係者からスティグマを押されて「出口」のない世界に孤立しているかのようではある。しかし認知症の人は「人間の実存」「人間のもっとも根源的な世界」に一番近いところに居住しているからご康心いただきたい。娑婆でウソをつき続け白を黒と言い含め続けるような輩とは違って「生きる」人たちなのだから。娑婆のことなぞ何が起ころうと知るか!

 

「…「普通の人」「健康な人」は、ただ生きること(・・・・・・・)がむずかしい人たちです。「あなた」ならできます。「普通の人」ができなくて「あなた」にできる。一寸愉快ですね。それは「豊かな国日本」のあり方に対する最高の警告挑戦なのかもしれません。「あなた」はもしかしたら豊かさにうかれているこの国の人々の「救い主」かもしれません。だからしっかりと立っていて下さい。「あなた」の「存在」自体が、何かへの「怒り」です。「美しく老いる」なんてくそくらえ! この「志しを忘れた国日本」の生証人として、「あなた」は何もせず、ただ生き続ければよいのです。それがすべてです。私もやがて「あなた」の後を追います。浜田晋 見知らぬ「あなた」へ」(浜田晋:老いを生きる意味.p.222)

 

 認知症の人は「志しを忘れた国日本」の生証人なのですぞ、控えおれ!

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認知症になる・ならない・なるだろう(その八)

 

「われわれのよわいは70年にすぎません。あるいは健やかであっても80年でしよう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。」

この一文は聖書(詩編第90編、モーセの祈り)(聖書、Ed.231963)聖書の「詩編」は紀元前530年頃に編集されたという説が一般的。とすると古のこの時代の人たちは意外と長寿であったことがわかる。70歳健やかでも80歳だから。ところが歴史が進むにつれて、戦争、交易による感染症の伝播、産業化に伴う自然環境の汚染、急激な工業化に伴う労働環境の悪化、食糧事情の変化や富栄養化、等々によって、文明は必ずしも人間の寿命を長くしたとは言えないのだろう。欲望を掻き立てられ過酷な時間競争に身を苛まれている今の我ら日本人。

この聖書「詩編」が編纂された時代、日本では縄文時代晩期から弥生時代早期に相当する時代で、文字のなかった時代なので日本人はどのように考えていたのかは想像するしかないが、往時の人が人生をどのようにとらえていたのか興味は尽きない。

 

「詩編」の記すように、古の時代から「人の一生」はなかなか厄介なものだったのだろう。人生はまことに「骨折りと悩み」に満ちている。では「老い」はどうだったのだろう。健やかに8090年は今でも我々の理想だ。しかも「ボックリ」この世に「オサラバ」できれば言うことはない。ところがどっこい古からそうはいかなかったのではないか。

 

「紀元前6世紀に、ギリシアの数学者ピタゴラスは、知能が幼児の水準まで退行する63歳からの期間を「老年期」(セニウム)と定義した。」「紀元前1世紀にはローマ人の医者ケルススが精神疾患を慢性的に抱えた状態を「認知症」(ディメンシア)と名付けた。」(スティーブ・パーカー監修、酒井シズ日本語版監修:医学の歴史大図鑑.初版、河出書房新社、2017)

 あの三平方の定理のピタゴラスが「知能が幼児にまで退行する期間」を老年期と称したとある。なぜ63歳かは判然としないがこれは明らかに「認知症」だ。ケルススは病名dementia(認知症)の名づけ親ということになる。往時「認知症」をどのように診療していたのかには興味があるが、意外と患者を放置して治療もしなかったのではないかとも想像できる。

 

むしろ今でいう認知症の患者は「彼は神様に近づいた」とか「神様から啓示を受けたからだ」とか言われ、ひょっとすると認知症患者から神託を受けていたのかもしれない。(そのような文献をどこかで読んだことがあるのだが例によって思い出せない。しかも大半の本を処分してしまったから探す手立てもない。何よりもワタシは怠惰になってきている。)

認知症の患者は超然としており悪徳や狡猾の回路を持っていないから、神託だって信頼できるものだったのではないか。戦闘を仕掛けたりホラを吹いたり巨悪に加担したり、何よりも今跋扈する暗愚の宰相のように権力掌握と継続だけを目指したりはしないから…。節もなく操もなく厚顔で破廉恥な「豊洲の女」のように姑息な病的野心とは縁遠い場所に存在しているから…。瑣事や些事にこだわってもいない。

 

「…「金」や「権力」や「見得」や「論理」や「組織」や「政治」や「言葉」や「闘い」を超えた世界に住んでいるあなたをです。「人間の実存」「人間のもっとも根源的な世界」に一番近いところに「あなた」をみようとしています。」(浜田晋:老いを生きる意味.p.219) 

「あなた」とは、もちろん一人ひとりの認知症の患者さんだ。認知症の人は、人間のもっとも根源的な世界に住み、娑婆の悪徳や狡猾からとっくに離れた場所に実存し・存在している。


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認知症になる・ならない・なるだろう(その七)

 

 「私は精神科医になってからずっと「分裂病」(注:現在では統合失調症)を追い続けてきた。それは「社会への入口」の病いである。社会に参加しようとして参加できず、やがて「病い」へと追い込まれる。「老いの病い」は、社会からの出口の病いである。そしてこの両者はともに社会から排除されて棄てられてゆく過程がおどろくほどよく似ている。いつしか私の中でこの二つは一つになっていた。」(浜田晋:老いを生きる意味.p.11)

 

 浜田医師は統合失調症の患者と認知症の患者が、社会から排除され捨てられていく過程が似ていると指摘している。つまりこれらの病気をわずらっている患者に対するスティグマの拡散と固定化のプロセスが同じ軌跡をたどっていると言うのだ。

「スティグマ」とは、言葉本来の意味は「聖痕」といってイエス・キリストが磔刑となった際についたとされる傷のこと。カトリック教会では奇跡の顕現とみなされている。日本語では「烙印」と訳されている。身体や精神等の障がいによって「スティグマ」を押される結果、社会的な参加が拒否されたり疎外されたりする事象を指す。この「スティグマ」は実は専門家や行政官やその関係者によってつくられて一般の人に拡散していくことが、P.スピッカーやG.クロセティなどの著作によって指摘されてきた。言い方を変えれば「スティグマ」は忍び足で作られていきその後人間の意識にガッチリ固定化され定着していく。

 

先述の篠崎英夫医師は、そのような私たちの心の裡なるスティグマや制度的なスティグマが固定化していくことに警鐘を鳴らし、「認知症」患者に対してもこのようなスティグマが固定化していく気配を感じていると指摘する(篠崎英夫:精神保健学序説.p.193)

 

 二人の医師の指摘は、共にワタシの中で共鳴し合っている。そして浜田医師も篠崎医師も、これからの社会の中でも精神障がい者や認知症患者に対するスティグマや偏見がなくなるという甘い希望は抱いていないのではないか。ワタシはそう思う。


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認知症になる・ならない・なるだろう(その六)

 

 浜田晋医師は1926年高知生まれ、東北大学医学部を卒業して東大医学部精神神経科、都立松沢病院勤務を経て1974年上野に浜田クリニックを開院、町医者に徹して東京下町の上野界隈の地域の人たちの診療にあたってきた(2010年逝去)

浜田医師がかつて書いた『老いを生きる』という本がある。この本はいずれワタシが老者となったときにもう一度読もうと心に決めていた本であり、ワタシはワタシ自身の約束に則りつい先日再読(実は再々々読か!) した。仕事仕事で阿呆で無茶な生活時間を過ごし終えて事業所を解散し清算決了を済ました今、浜田医師のこの本を読んでみると、以前には気づかなかった箇所や文章が立ち現れてきた。これが読書の醍醐味。例えば次の一文。

 

「それでも「あなた」は「家へ帰ろう」と言うのですか。」…もともと人間にとって「家」などなかったのかもしれません。「家族」が幻想であることが、昨今、はっきりしてきました。あの山頭火にとって「家」とは何だったのでしょう。しかし「あなた」は、今「誰か」の介護を求めています。一人では生きられなくなったのです。看護する夫につぶやいたそうですね。「どこのどなた様かは存じませぬが、お世話になります。」と。<耕治人:そうかもしれない.1988.> 今、あなたは孤独です。本来の「人間」にもどっただけなのかもしれません。」(浜田晋:老いを生きる意味.p.217、岩波書店、1990.)

 

この箇所は、浜田医師が作家・耕治人のある作品に共感を示しながら記した部分である。名文だ。耕治人の小説をまず紹介する。

 

耕治人『そうかもしれない』(講談社、1988)は次のような作品。がんで療養中の「私」のもとに認知症の症状がさらに進んだ妻が見舞いにやってくる。妻は「私」を夫と識別できなくなっている。「この方がご主人ですよ」と付き添いの人が言うと妻は「そうかもしれない」と答える。それを聞いた「私」は言葉を失うと同時に、「私」がかつて精神病院に入院した際にも懸命に生活を支え毎日のように面会に来てくれていた妻のことを思い、それにひきかえ自分は何一つ亭主らしいことをしてこなかったという悔恨の情がわいてくる。妻の認知症を理解してあげられず、ある日料理中の鍋を火にかけたまま忘れる妻の失敗をなじってしまったのだった。「私」はその直後妻が部屋で一人涙を流す姿を見た。結婚以来困難に対して常に「逃げ腰」だった「私」を批難するどころか黙って矢面に立ちつづけた妻に対する尊敬の念と愛がわいてくるのだった―そのような内容の小説である。実体験をもとに私小説風に描かれたこの小説は、自らの妻の認知症を明らかにしその生活を主題にしたことで、当時は大きな話題を呼び映画化もされた。また作家の死後妻はTVのドキュメンタリー番組にも取り上げられた。

 

30年ほど前に発表された小説だから知らない人も多いだろう。当時はまだまだ認知症の患者も少なくて目立たず、社会の注目を浴びることも少なかった時代だ。この30年というのはそんな変化の時期だった。浜田医師の診療経験もこの時代に重なる。

浜田医師は自らの診療経験をもとに認知症患者に慈愛の目を注いでいたことがこの一文でわかる。認知症患者を「本来の人間にもどっただけだ」と記す。


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認知症になる・ならない・なるだろう(その五)

 

岸川雄介医師が記すように、アルツハイマー病の患者は…道に迷ってしまい、それでも目的地にたどり着こうとし、探している人に会おう、今いる場所がどんな場所かつかみ取ろうと、それぞれの目的を果たすべく懸命に行動しているのだ。だから認知症患者は・その人ならではの・その時々の・患者の心の動きがある、という現実を推し量らなければならないのだ。家族や介護する人の想像力と技量が問われていることになる。

 

認知症の患者は確かに周囲の家族や関係者を困惑させる。どう対処していいかわからない。ワタシの母(義母)の場合、母の症状をこのように考えてあげるべきだったのだろう。

「便をこねる」=こんな粗相をしてしまってどうしよう、どこに隠そうか困ったな。

「徘徊する」=お父さんはどこに行ったのかしら、孫の〇〇クンは最近来ないけれど近くに来ているんじゃないか、探しに行こう。

「あなたはどなたですか」=どことなく知っているような・知らないような人だけれど思い出せないな・名前も出てこないな・でもどうして私にこのように親切にしてくれるのだろう。

 

 保健師として長年活動してきた母は、自分では如何ともしがたい不条理な症状の出現と、それを処理することのできない自らの不甲斐なさに、きっと一人涙を流していたに違いないのだ。母はそのような世界に今留まっていることをワタシが「わかってあげる」べきだったのだろう。

 

母の認知症の症状は不思議なことに一過性であったのだが、当時同居していなかったワタシと嫁さんは、ショートステイの施設に母を託した。当時ワタシが母の心の世界を「わかってあげる」ことができただろうか、答えは「否」だ。今でも胸が痛む。


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